『最後の音楽:|| ヒップホップ対話篇』
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単行本(ソフトカバー) – 2024/3/15
序 What's dope? 〈かっこいい〉ってどういうこと?
一章 ヒップホップとキャラクター──なぜラッパーはアメコミのヒーローになりきるのか? feat. さやわか
三章 ヒップホップと記名性──J・ディラに学ぶ、テンプレ氾濫時代に抗う“様子のおかしい”創作のすすめ
column 放蕩息子のロック帰還 文◉荘子it
四章 ヒップホップと道化──社会的抹殺が跋扈する時代にオルタナティヴな表現は可能か? feat. 後藤護
p257 後藤 わかります。ウータンでキーワードになってくるのが、荘子itさんもよく口にされる「フール」の概念だと思うんです。数年前に加速主義とかシオランが流行ったり、みんなが希死念慮がどうとか言ってたとき、僕はそれにコミットできなかったんですよ。暗い時代には暗い思想がフィットするっていう安直さが受け入れられなくて。実際に加速主義は流行ってましたけど、コロナ禍になってからそれがただのポーズだってことが大体わかってしまった。なんだかんだ言って結局、みんな生きたいんじゃないかと。 ざっくりとは賛同。
五章 ヒップホップと「良い音」──音を視る魔術 feat. Illicit Tsuboi
六章 ヒップホップと前衛──アヴァンギャルドとポップの二項対立を超えた第三項
低音とノイズ
意識的なリスナーにとっては安心できる低音であっても壁を一枚隔てた部屋の人には不快感を与える。
エロとの近さ。
確かに低音にはある種の下品さがある。
私秘的に愉しむものとしての「低音の欲動(エロス)」
『鬼滅の刃』のまぶたの線の話(現実にはない謎の線がむしろ記名性を持つ)
旧約聖書「太陽のもとに新しいものはない」
ポストモダン的な「新しいものはない」という発想はある意味自然主義的である。
自然界の順列組み合わせとは違って、人工物を間違って使うことから生まれるものが突破口になり得る。
自然の摂理を度外視して根底から変形させられる人工物の強み。
column ズレ者たちの系譜 アヴァンギャルド・ビートメイキングの美学 文◉吉田雅史
跋 ヒップホップその可能性の中心
どこに書いてたか忘れたけど、カンパニー社の本はどれもマジでいいらしい。